手塚治虫『火の鳥』から『鬼滅』『フリーレン』へ……脈々と受け継がれる「生命」の価値観を描くこと

漫画史に刻まれるべき手塚治虫のシリーズ『火の鳥』。3月7日から六本木ヒルズの東京シティビューで貴重な原稿とともに作品を振り返り、手塚が何を描こうとしていたのかを示す『手塚治虫 火の鳥展―火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡-宇宙生命(コスモゾーン)の象徴』も始まって注目が集まっている。「永遠の生命」という甘美な誘いに執着して滅びていく人間の弱さを描きたかったのか。永遠に繋がっていく生命の存在を示して今を生きる意味を問い直させようとしたものだったのか。
血を飲めば「永遠の生命」を手にできる

「不老不死の生き血なのよ。どう?ほしくない?」。手塚治虫の『火の鳥 黎明編』で、弓彦という男に鉄の矢で貫かれた火の鳥が、命乞いをするようにして発した言葉だ。火の鳥の生き血を飲めば永遠の生命を手に入れられる。死の恐怖に怯える人間たちにとってこれほど魅力的な誘いはないだろう。
この後に続くシリーズの中でも、オグナという男子は殉死者が誰も死ななくて済むように火の鳥の生き血を求め、平清盛も火の鳥とおぼしき火焔鳥を手に入れようと躍起になる。ある意味でシリーズ最大級のラスボスから出る最上級のドロップアイテムに等しい火の鳥の生き血を誰もが手に入れたがる。
そして、『未来編』『宇宙編』『鳳凰編』『復活編』『望郷編』といったシリーズが描かれていく中で、永遠の命を求める人間の執着の醜さであり、それによってもたらされる騒乱といったものも折り重なるようにして登場し、人間に火の鳥への愛憎のどちらかといえば憎悪が勝つような感覚を抱かせる。手塚自身も、『COM』1967年2月号に寄せた文章で、「古代から未来へ通じてえんえんとつづく『火の鳥』―永遠の生命―との戦いは、人間にとって宿命のようなものなのだ」と書いて、人間が対峙して戦うもの位置付けている。
「火の鳥」は人間の欲望を呼び起こす悪魔か
火の鳥は悪魔なのか。手塚治虫が幾度も漫画として描いたゲーテの『ファウスト』に登場するメフィストフェレスのような存在なのか。人間を試すところがあるという部分で共通するところはある。ただし、火の鳥は好んで人間を拐かしたり惑わせたりするようなことはしない。存在として永遠なだけで、それをどのように受け止め利用しようとするかは人間の側にかかっている。